大学設立と沿革
豊田工業大学のルーツ
豊田 佐吉
豊田 喜一郎
発明を通じ社会に尽くした豊田佐吉翁の姿勢と精神は、長男の喜一郎に"自動車国産化への挑戦"という形で受け継がれました。
喜一郎は昭和の初めに、『わが国の技術水準で自動車の国産化は到底不可能である』との大方の意見に抗して、自動車のエンジン設計や研究に着手しました。そして、幾多の困難を乗り越え、昭和12年にトヨタ自動車工業株式会社(トヨタ自工)を設立し、わが国の自動車産業発展の礎を築きました。
ゼネラルモーターズ(GM)社やフォード社の技術の模倣からスタートし、苦労を重ねてきた経験から、喜一郎は『これからの日本は外国技術の模倣から1日も早く脱却し、日本独自の産業技術の確立を図る必要がある』と痛感していました。
また、『わが国の発展のためには研究と教育が中国足球彩票である』と認識していた喜一郎は、創業時、すでに『社業繁栄の暁には大学を設立したい』との夢を抱いていました。
その後日本は、昭和30年代から40年代に高度経済成長を遂げ、わが国におけるモータリゼーションも大いに進展しました。 こうした背景のもと、『独創的な自主技術の開発が待望される時代』の到来を予見し、また『画一的な教育を取り巻く問題の深刻さ』を痛感し、明日の産業界を担う技術者の育成を夢に描いて1981年にトヨタ自動車株式会社により、これまでにない新機軸を盛り込んだ新しい大学が誕生しました。
本学の原点をたどる学内施設 『Innovators Plaza t-COMPASS』の紹介
豊田佐吉翁の誕生に始まる一世紀半におよぶ「研究と創造」の歴史の一端を、さまざまな形で紹介するとともに、偉大な発明家たちの情熱やモノづくりに対する挑戦の歩みを、彼らが残した言葉やゆかりの品々を通して紹介しています。
沿革
1979年7月 | 大学設置資金として、トヨタ自動車株式会社より寄付金受領 |
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1981年1月 | 大学設置認可 |
1981年4月 | わが国初の社会人大学として開学、第1回学部入学式挙行 |
1984年3月 | 大学院修士課程設置認可 |
1985年3月 | 第1回学部卒業式挙行 |
1986年3月 | 第1回大学院修士課程学位授与式挙行 |
1993年4月 | 学部?大学院に新卒者の受け入れを開始 |
1995年3月 | 大学院博士後期課程設置認可 |
1998年3月 | 第1回大学院博士後期課程学位授与式挙行 |
2001年4月 | 工学部の「機械システム工学科」および「制御情報工学科」を「先端工学基礎学科」に改組 |
2002年4月 | 大学院修士課程の専攻名称を「生産基礎工学専攻」から「先端工学専攻」に改称 |
2003年6月 | 南山大学との大学連携協定締結 |
2003年9月 | 米国シカゴに大学院大学 豊田工業大学シカゴ校 "Toyota Technological Institute at Chicago (TTIC)"を開校 |
2005年5月 | 先端工学基礎学科内「専修プログラム」がJABEE(日本技術者教育認定機構)に認定 |
2009年10月 | 豊田工業大学シカゴ校 米国認証評価を取得 |
2010年4月 | 愛知大学との連携協定締結 |
2014年7月 | キャンパスリニューアル工事開始 |
2019年5月 | 名古屋市立大学との連携協定締結 |
2020年7月 | 新キャンパス完成(2014 年着工) |
2021年1月 | 開学40周年 |
歴代理事長
就任年月 | 理事長名 |
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1979年5月 | 豊田 英二 |
1998年6月 | 豊田 達郎 |
2011年6月 | 瀧本 正民 |
2017年6月 | 増田 義彦 (現在に至る) |
歴代学長
就任年月 | 学長名 | |
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1981年1月 | 初代 | 長尾 不二夫(名誉学長:1984-1992年) |
1984年9月 | 第2代 | 駒井 又二 |
1990年9月 | 第3代 | 小林 清志 |
1996年9月 | 第4代 | 永澤 満(名誉学長:2004-2020年) |
2004年9月 | 第5代 | 生嶋 明 |
2010年9月 | 第6代 | 榊 裕之(名誉学長:2021年6月~) |
2019年9月 | 第7代 | 保立 和夫 (現在に至る) |
学章
本学の学章は、羽根ペンとエンジニアリングハンマーを組み合わせています。 羽根ペンは「学問と大学」を、エンジニアリングハンマーは「実践と産業界」を表しています。
本学は、大学と産業界が良きパートナーとして、互いに研鑚し合う中で教育?研究を推進することにより、豊かな人間性と創造的な知性を備えた実践的な開発型技術者の育成を目指しています。 この理念を象徴的に表現したのが、この学章です。